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船橋競馬×うまレター
船橋競馬の魅力発信

人馬がつなぐ船橋ストーリー
森泰斗騎手インタビュー

中央・地方の垣根を越えて、競馬業界全体の活性化を目的に発行されるフリーマガジン「うまレター」とのコラボレーション企画の第1弾!

船橋競馬には、強い「人」、強い「馬」がいて、毎日、さまざまなドラマが繰り広げられています。
このコーナーでは、そんな人馬たちを毎月ご紹介!その初回は、今や地方競馬を代表するトップジョッキー・森泰斗騎手に迫ります。

森騎手は1998年に足利競馬場でデビューし、2003年に宇都宮競馬場へ移籍。北関東競馬の廃止に伴い2005年に船橋競馬場へやってきた苦労人。北関東の仲間たちが全国各地に旅立つなか、船橋競馬場を選択した森騎手。まずは当時のお話から伺いました。

――移籍当初はいかがでしたか?
 自分の兄弟子にあたる調教師が松代眞調教師のお兄さんで、紹介してもらって船橋に来ました。年齢制限もあったのですがクリアもしていましたし。調教のやり方などの環境は、それまでとはまったく違ってました。先生も厳しい人だったのでけっこうきつかったですし、慣れるのには時間がかかりました。時代もありますが、あの頃のジョッキーってみんなピリピリしていて、今とは雰囲気がだいぶ違いました。

――その中で、凄いなと思った先輩は?
 それはもちろん石崎さん(石崎隆之元騎手)。オーラが違いました。あれだけ実績を積み重ねると、こういうものが身につくんだなと思いました。

――当時、仲の良いジョッキーはどなたでしたか?
 江川(江川伸幸元騎手)とか、脇田(脇田創元騎手)とかと遊んでいましたね。年下だけど同世代だったので。あとは、今の米谷康秀調教師とかですね。

――それから10年後の2015年に、初の全国リーディングに輝きました。そして昨年までに4回獲得。全国リーディングに対する想いは?
 最初は「獲りたい、獲りたい」ばかりで必死にあがいていた感じでしたが、最近は良い意味で余裕も出てきました。そんなに簡単に獲れるものではないので、意識はずっとしています。数字は意識していないと口ではよく言っているのですが、正直、やはりどこかで意識しているし、ライバルの勝鞍もチェックしちゃいますね。

――それは兵庫の吉村騎手のことですか?
 そうですね。気にしないようにしていても、年末になってくるとどうしても(笑)。だから、まだ自分は甘いと思いますよ。本当に意識しなくなって自然体で騎乗し、終わってみたら獲れていたというのが理想ですが。今の僕は、その境地にいけていません。

――2018年は吉村騎手と最後まで競り合って、全国リーディング2位になりました。あの時は悔しかったですか?
 はい。次は獲ってやろうと思いましたね。ケガがあったから、言い訳できた部分もありましたし。「来年は奪還するぞ」という気持ちになりました。

――まわりから「リーディング、リーディング」と言われてプレッシャーはありませんか?
 もちろん、あります。少しずつ慣れてきてはいますが、勝って当たり前と思われていますしね。でも、みんなが思うより大変ですよ(笑)。競馬は馬ありきで、僕が走るわけじゃない。騎手の上手い下手と言ったって、騎乗馬が動ける馬でなければどうにもなりませんからね。勝って当たり前と言われるのはありがたいですが、やはりその分、他の人には分からない大変さもたくさんあります。

――森騎手のすごい所のひとつは、毎年1500鞍~1700鞍という騎乗数の多さだと思うのですが、そのあたり何か想いはあるのですか?
 それはあります。10年以上、数だけは1番乗ってきました。自分も厩務員をやっていた時代もあるので、関わっている人の力とか、気持ちは分かっているつもりです。ですので、依頼はなるべく断らないようにと思っているんです。ただ、体と相談しながらではありますけどね、もう40歳ですから(笑)。でも今のところ大丈夫です。ジョッキーって花形で目立つ仕事ではあるのですが、レースの時のジョッキーの力って微々たるものなんです。最後のちょっとした味付けのような。厩務員さんや牧場の方などの方が、よほど大変だと思います。

――今年は今のところ(3月29日時点)全国1位の勝鞍です。ここまでの調子はいかがですか?
 自分の調子はいいんだけど、ただ、南関東の流れが変わってきているなと。若手が台頭してきていますよね。世代交代の空気は感じています。それは喜ばしいことではあるんですがね。そこでまだ「悔しい」と思う自分がいるので、そういう気持ちがあるうちは大丈夫かな。まだ立ちはだかろうとは思っていますよ。

――今年で40歳ということで、年齢的にはベテランという立場になっています。後輩もたくさんできましたが、今の船橋競馬ジョッキーズたちはいかがですか?
 雰囲気はすごく良いです。みんな仲がいいんですよ。すごく真面目ですし。なれ合いとかではなくて、とても働きやすい環境になっています。

――後輩を連れて食事に行くなど、「森会」的なものってないんですか?
 コロナ禍の前は時々行っていましたよ。僕が誘ってお花見も毎年やっていたんです! 前日から場所取りでシート敷きに行ったりして。意外にそういう音頭をとれる人っていないんですが、声をかければみんな来てくれる。毎年15人くらいで楽しんでいました。

――ライバルだと思っている騎手、意識している騎手はいますか?
 正直いませんね。格好いいこと言うようですが、基本的にずっと自分と戦っていますね、昔も今も。

――先ほど石崎隆之元騎手の名前も出ました。尊敬している人や、こんな乗り役になりたいと思う騎手は?
 JRAも含めて全国に良いジョッキーはたくさんいますが、特別意識している人はいないです。ただ、これだけ数を乗っていると、ちょっと調子が悪いというか、「どうやって馬に乗るんだっけ?」という感覚になる時があるんです。そういう時は、上手いと言われているジョッキーのレース動画を見てイメージをつけます。石崎さんがアブクマポーロに乗っている映像や、圭太(戸崎圭太騎手)のJRAのレースを観るなどして自分の感覚を修正したりはしますね。

――JRAでの騎乗経験も多いですが、中央遠征についてはいかがですか?
 時々行って、時々勝つと、すごく気持ちがいいです! もちろん南関東の1勝も嬉しいですが、中央遠征して勝利を挙げるって滅多にないことですからね。ただ、より多く遠征したいとか、JRAの試験を受けたいという考えはまったくないですよ。僕は潰れた競馬場から拾ってもらった人間です。拾われた人間がこの立場までこさせてもらって、自分がJRAで通用するとかしないとかそういう次元の話ではなく、試験を受けること自体が違うんじゃないかなと思っています。

――ここからは、森騎手とゆかりのある馬について聞いていきます。まずはサウンドトゥルーについて。3月にケガで引退ということになりましたが、引退の一報を聞いた時はいかがでしたか?
 骨折という連絡が来た時は、あぁ…と思いましたが、すぐに牧場へ帰り功労馬になると聞いたので、本当にほっとしました。せん馬だから種馬になれないし、余生を心配していた部分も正直ありましたから。散々がんばってきましたもんね。あれだけの馬がケガで引退というのはとても残念ですし、関係者の皆さんには失礼になってしまうかもしれないけれど、個人的には安堵の気持ちが大きいです。

――GⅠ(JpnⅠ)3勝の実績馬としてJRAから南関東に移籍してきましたが、実際に騎乗してみてどうでしたか?
 すごく賢い馬でした。折り合いの心配なんてまったくないし、こういう馬ばかりだったら騎手も乗りやすく、きれいなレースになって事故もないだろうなって。何の癖もない馬でしたよ。昔は2000mくらいが良かったんでしょうけど、切れとかスピードの面では高齢になって足りなくなっていました。だから、他の馬が苦しくなってくる2600mなどの長距離で結果が出たんでしょうね。スタミナと気持ちはずっと衰えませんでした。最後に苦しくなっても、気持ちが強いから頑張れた部分も大きいです。

――引退が決まった直後のダイオライト記念では、弟のアナザートゥルースに騎乗されましたね。
 馬主さんには以前からお世話になっていたのですが、粋な計らいをしていただき、感謝の気持ちで乗りました。サウンドトゥルーと良く似ていましたね。馬上からのシルエットを見て、血が繋がっているのがすごくわかりました。

――森騎手にダートグレード初勝利をプレゼントしてくれたキタサンミカヅキも印象深い1頭ですよね。
 キタサンミカヅキと関わっている時は、楽しかったという思いが強いです。中央馬を倒したり、京都競馬場にも一緒に行ったり、厩務員さんと意見交換しながら作戦を考えたりと、良い思い出しかありません。種馬にできたということも良かったです。

――キタサンミカヅキとは11戦コンビを組みましたが、印象深いレースは?
 勝ったレースはもちろんですが、京都のJBCスプリント(3着)ですね。タラレバですが、あの時、JBCが地方で開催されていれば勝っていた可能性があるなって。タイミングなので仕方ないのですが、僕自身ももっていなかったなって思います。

――現役馬についてもお聞きします。3歳馬の中では牝馬のケラススヴィアが注目されていますが、どんな馬ですか?
 レースの最中も「スイッチ入ってるのかな?」と思うほどおとなしい馬です。イレ込んでいるのを見たことがありません。それが強みだと思います。そして脚が速いです。ユングフラウ賞で初めて負けてしまいましたが、負担重量を背負っていたし、休み明けで体に少し余裕がありました。また当日は浦和コースらしくなく逃げ切りがほとんどない馬場だったので、逃げたのも敗因のひとつです。それでも勝てるとは思っていたのですが…。

――桜花賞への意気込みをお願いします。※インタビューは桜花賞の2日前(2021年3月29日)
 ケラススヴィアという馬名は「桜の道」という意味です。ですから、ここを獲らなきゃどこを獲るんだってことですよね。責任重大で、ちょっと緊張してます(笑)。当日の馬場状態がポイントになると思いますが、不利なく普通に走れれば大丈夫だとは思っています。
※その桜花賞は単勝1.3倍の圧倒的な支持に応えて見事牝馬一冠目を手にしました。

――3歳牡馬路線では、出世レースのニューイヤーカップを制したトランセンデンスとのコンビ。クラシックへの手応えはいかがでしょう。
 砂をかぶるのを少し嫌がったくらいで、課題は特にないですね。ただニューイヤーカップはメンバー的にも恵まれた部分もありました。そのあと雲取賞2着、京浜盃4着と、もう一歩ですからね。ダービーまでにもう少し筋肉量が増えて、成長してくれればと思います。

――スプリント戦線ではベストマッチョが活躍していますね。JRAからの移籍後、森騎手がすべて騎乗されています。
 走りますよね。南関東に来てすごく良くなったんです。ただ、良くなったと同時に引っかかるようになったので、そのあたりは毎回苦労しています。小回りがすごく合うと思うので、今年のJBCスプリント(金沢1400m)は良いと思いますよ!

――さて、今年も5月5日に船橋競馬の大一番「かしわ記念」が行われます。船橋の騎手にとってはどんなレースですか?
 憧れのレースです。ここ何年も見ているだけということが多かったのですが、今年はカジノフォンテンがいますからね。船橋の1600mコースは強い馬が強い競馬をするコース。地元の馬が有力馬に挙がることはなかなかないので、みんなで応援しようと思っています。

――最後に、今後はどんな人生を送っていきたいですか?
 昔想像していた40歳とはかけ離れてるのでね…(笑)。まわりからは「稼いでいるからいいじゃん」と言われますが、出ていくものも大きいから言うほど裕福じゃないんですよ(笑)。仕事の面では今までと同じように取り組んでいきたいですが、人生的には上手くいっていない部分もあるので、理想の自分に近づいていきたいですね。

――本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

取材・文/秋田奈津子