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うまレターコラボ
佐藤裕太調教師インタビュー

人馬をつなぐ船橋ストーリー
第5回

中央・地方の垣根を越えて、競馬業界全体の活性化を目的に発行されるフリーマガジン「うまレター」とのコラボレーション企画の第5弾!

船橋競馬の強い人馬を紹介するこのコーナー。
今回は、9月1日に「フリオーソレジェンドカップ」が実施されることにちなみ、騎手時代にフリオーソの調教を担当していた佐藤裕太調教師にお話を伺いました。

―― 船橋競馬が生んだ地方競馬の英雄フリオーソを称えるレース「フリオーソレジェンドカップ」が実施されますね。ご自身の携わった馬の名がついたレースが行われることについてはいかがですか?
佐藤
 以前、「アジュディミツオー・メモリアル」を勝たせていただきましたし(2019年・シントーアサヒ)、恩師・川島正行調教師の功績を讃える「船橋の名伯楽記念」も勝つことができました(2019年・アットザヘルム)。所縁のある名前のレースといっても出走させることは難しいですし、運良く管理馬が出走できた時は力が入ります。「フリオーソレジェンドカップ」も、出走が叶えばぜひ勝ちたいレースです。

―― 前回のコラムでダーレー・ジャパンの加治屋さんが「フリオーソは頭の良い馬」と仰っていました。フリオーソの調教を担当されていた佐藤調教師はその強さ、魅力をどのように感じていましたか?
佐藤
 本当に頭の良い馬で、教えたことをすぐに理解して動いてくれて、無駄がない。オンとオフも自分で切り替えてくれました。人に対しても優しい仔でしたね。印象的だったのが、北海道から南関東に来て初めて跨いだ時。その雰囲気から「これは只者ではない」「凄い馬になるんじゃないか」というオーラが伝わってきました。

―― それ以前にも、そのようなオーラを感じた馬はいましたか?
佐藤
 オープン馬になるような馬は、結果的に考えるとそういう雰囲気は持っていますね。アジュディミツオーやシーチャリオットなどは、生まれつきレベルの違うものがあったんだなと。

―― フリオーソのアスリートとしての強さはどんな所でしたか?
佐藤
 体の使い方ですね。全身を上手く使って効率の良い走りでした。よく背中が良いとか、クッションが良いとか、乗っている人にしか分からない説明の仕方がありますが、本当に言葉で表すのは難しいんです。フリオーソの場合は異次元の乗り心地で、オープン馬ならではの歩様のリズムがあって、それは乗っていてビンビン伝わってきました。馬も人と一緒です。なんでもできちゃう天才がいたり、最初はダメでも調教を積んでいく過程で強くなっていくような努力型の馬もいる。フリオーソは天才ですよね。入厩してから能力試験に向けてさまざまなことを教えるのですが、手前の替え方ひとつにしても、まるで以前から習得していたかのような感じなんです。

―― 人間の方が学んだ部分はありましたか?
佐藤
 僕自身は、フリオーソの前からたくさんの実力馬に乗ってきました。その中で、競走馬を仕上げる過程で無理をさせてはいけないということを学んできました。フリオーソは若い時、脚元の弱さがあったし、その「無理をさせない」というやり方が間違っていないことを再確認できました。レースへの仕上げにもつなげられたと思います。

―― 2歳から一線級で結果を出してきた馬が、これだけ息の長い活躍をするというのも凄いことです。フリオーソ自身のポテンシャルはもちろんですが、陣営の努力も大きかったのではないでしょうか?
佐藤
 一番は愛情だったのだと思います。川島調教師をはじめ、当初担当していたクリスさんもすごく馬への愛情が豊かで、いろいろと工夫しながら新しいことにチャレンジしていくような方でした。そのチームの一員として、僕も調教というカテゴリーで毎日携わってきました。「愛情」というと一言ですが、例えば川島先生は「馬が暑いかな」と思えばクーラーを設置したり、狭くてイライラしているようだったら馬房を広くしたり。クリスさんも「餌を食べないな」と感じたら好む食べ物を探し出したりして。自分も乗りながら、苦しそうな走りだと察したら手綱を緩めてあげるとか…。フリオーソは、そういう小さなひとつひとつの愛情の結晶なのかなと思います。それは、生産や育成の時からです。生まれてきてからずっと愛が注がれてきた馬だなと接していて伝わってきました。

―― 種牡馬になってからは、初年度産駒から活躍馬が出ています。産駒についてはいかがですか?
佐藤
 フリオーソの頭の良さが伝わっているような仔が多いですよね。佐藤厩舎にも「フリオーソ産駒だから預かってほしい」というお話もいただけて、縁を結び付けてもらっています。フリオーソ産駒で初めて管理した馬がステラライト。「顔がフリオーソに似ているから、良い馬になると思います!」と、サマーセールでオーナーに買っていただいた馬なんです。重賞にも出て、がんばってくれました。

―― 現在も3頭のフリオーソ産駒が所属していますね。
佐藤
 ステラライトと現在の3頭(ゴールデンファラオ、モンストルオーソ、オーソーラヴリー)で合計11勝していて、勝ち鞍に貢献してくれています。特にゴールデンファラオは、厩舎の重賞初制覇となったスアデラの近親なんです(ゴールデンファラオの祖母がスアデラの母)。スアデラの一口を持っていたオーナーがゴールデンファラオの母オウルインザダスクを繁殖馬として購入し、「じゃあ、フリオーソをつけましょう」ということになったんですよ。こうやって繋がっていくのがブラッドスポーツの醍醐味でもあるし、良い仕事をさせてもらっているなぁと実感します。

―― ダーレー・ジャパンの加治屋さんは、「フリオーソ級のフリオーソ産駒が佐藤裕太厩舎から出ると夢がある」とも仰っていました。
佐藤
 ゆくゆくはフリオーソのような抜けて強い馬を仕上げてみたいですね。中央の馬を負かす馬が出てくると地方競馬も盛り上がりますし。フリオーソ産駒で大きいレースを獲るのもひとつの目標です。

―― 騎手時代についてもお聞きします。1993年から2014年まで、約21年間の騎手人生でした。振り返ると何が思い出されますか?
佐藤
 一言でいうと、悔しい騎手時代でした。馬の仕上げに携わって、実際のレースに乗れないというのは正直すごく悔しかったです。もちろん馬が勝てば嬉しいのですが、「自分で乗りたかった」という気持ちが常にありました。でも川島厩舎のオープン馬ですから、結果も求められるし…。当時は葛藤していましたね。ただ、メディアの人が「縁の下の力持ち」というように取り上げてくれて、「見てくれている人がいるんだ」と救いにも励みにもなりました。馬の仕上げの面白さも見出して、それが今に活きているという実感があります。

―― 思い出に残っている馬やレースは?
佐藤
 各馬のデビュー戦は鮮明に覚えています。あとは、ルースリンドで重賞2着だったレース(2010年・東京記念、ルースリンドの引退レース)や、アジュディミツオーのダイオライト記念(2008年)も思い出深いですね。自分が調教師になって、調教師側の気持ちが分かるようになったわけですが、よくアジュディミツオーを自分に乗せてくれたなと思います(笑)。川島先生のその粋な計らいはすごいことですし、大変だったろうなと今になって分かります。

―― どちらの立場でも複雑な想いはありますよね。
佐藤
 騎手時代の経験があるので、調教を手伝ってくれる騎手にはレースに乗ってもらいたいという気持ちがあります。もちろん全部が全部とはいきませんが。トップジョッキーにも、縁の下の力持ち的な騎手にも、調教師にも、それぞれ立場や悩みがありますよね。ただ、川島厩舎は佐藤裕太がいて良かったなって(笑)。自分の厩舎にも佐藤裕太がいたらなって思いますよ(笑)。騎手時代は、よくやっていたなと思い返します。

―― 当時、馬作りで心懸けていたことは?
佐藤
 やはり、やりすぎないということ。馬はしゃべれないですから、その一歩一歩を感じ取り、馬からくるアクションと会話をしながら調整していました。それと、調教後やレース後の適切なケア。これがその後の仕上げに大きく関わっていきますので大事にしていました。

―― 川島厩舎といえば、フリオーソの先輩にアジュディミツオーという偉大な馬がいました。この馬に関して佐藤調教師は海外(ドバイ)遠征も経験されています。これは貴重な時間だったのではないでしょうか?
佐藤
 そうですね。あの遠征結果は、正直に言うと仕上げの失敗です。ドバイワールドカップであれだけのパフォーマンス(6着)をしてくれたんですから、もっと全開で仕上げられていたら勝ち負けもあったと思います。当時のことは今も鮮明に覚えているんですが、検疫で美浦のトレセンにいる時も、ドバイに行ってからも、ずっと独りぼっちで調教をしていました。それでメンタル的に影響が出てしまったんです。海外競馬の難しさを実感しました。でも、あの時の経験をまたどこかで活かしたいですね。それこそフリオーソ産駒で。

―― サウンドトゥルーを取り上げた回で、岡田スタッドの岡田牧雄さんが「佐藤調教師の馬作りは本当に信頼できる」という言葉がありました。調教師になってから馬の仕上げなどについて考えが変わったところはありますか?
佐藤
 川島先生の教えは今でも沁みついているし、厩舎スタッフにも受け継がれているので大きな変わりはありません。馬一頭一頭に愛情をかけるということ、やりすぎないこと、それは騎手時代と同じです。

―― 調教師という仕事のやりがいや大変さは?
佐藤
 勝った時は最高に嬉しいですけど、責任という意味では背負うものの重みが違います。まずは無事に走り切ってくれることなんですが、そこで勝たせなくてはいけませんから。ただ、先ほどのフリオーソ産駒もそうですが、馬が結び付けてくれる縁もあるのでありがたいですよね。川島厩舎からの流れで馬を入れてくれる馬主さんもいます。僕はどちらかというと現場主義。今も変わらず調教に乗っていますし、それが結果に結びついて次の馬に繋がっていってくれればなと思っています。

―― 騎手時代と今で競馬の見方の変化はありますか?
佐藤
 今から騎手をやれば、もう少しうまく乗れるんじゃないかって思います(笑)。今は、レースに乗ってもらった騎手の目線で見るじゃないですか。それこそ控室にはいろんな角度からのモニターがあって確認ができるんです。南関東のトップジョッキーに騎乗してもらうことも多いのですが、「森君上手く乗るなぁ」「自分だったらこう乗っちゃうだろうな」とかって(笑)。客観的に見られるようにはなりましたよね。

―― これまで関わってきた馬に会いに行くことはありますか?
佐藤
 はい。先日、サウンドトゥルーにも会いにいきましたよ。まだ走れそうなくらいすごく元気で、リラックスしていました。フリオーソにも会いにいきますよ。北海道に行った時のホッとする瞬間ですね。競走馬時代は毎日乗っていましたから、馬の方も自分のことを覚えているんじゃないかなと思います。

―― 今年は特に船橋競馬の人馬の活躍が目立ちます。カジノフォンテンの山下貴之調教師、波多野厩務員、また、ジャパンダートダービーを勝った仲野光馬騎手も、かつては川島正行厩舎に所属していました。ここにきて川島イズムの存在感がかなり強いと感じるのですが、いかがですか?
佐藤
 川島正一調教師もそうですし、厩務員さんもそう。ブラッドスポーツじゃないですけど、人と人との血も受け継がれていますよね。誇りに思いますし、自分も他の川島イズムの継承者に負けたくないという気持ちもあります。

―― 改めて川島正行調教師はどんな方でしたか?

佐藤 周りから何を言われても自分の信念を貫き通す、新しいことに挑戦するチャレンジ精神を持っていた人ですね。すごいオーラがありました。絶対に真似はできないし、真似しても失敗すると思います。自分の第二の親でもありますし、今でも思い出しますよ。「先生の送り出す馬と対決してみたかったな」とも思いますね。それに今の船橋競馬の礎を築いた方。いろんな革命をされてきましたし、ファンサービスも本当に力をいれていて、それは自分も受け継いでいきたいなと考えています。

―― ちなみに、調教師になってからは休日ってあるのですか?
佐藤
 ほとんどが仕事なので、特に休みはとっていません。ただラーメンが好きなので、息抜きに食べに行っています。今はコロナ禍なので気を付けながらですが。シンプルな醤油ラーメンが好きなのですが、北海道では必ず味噌ですね。リサーチして仕事の合間に食べに行ったりしています。

―― でも体形は変わっていないように見えますが。
佐藤
 はい、全く変わっていません。ラーメンを食べるために調教に乗っているようなものです(笑)。

―― 今後の目標を教えてください。
佐藤
 レースに送り出す馬は全部勝ちたいです。また、無事に送り出す大切さをしみじみ感じるので、厩舎スタッフと力を合わせて一頭一頭に愛情をかけていきたいです。

―― 将来の夢や、何かやってみたいことなどはありますか?
佐藤
 ドライブが好きなので、車で全国のラーメン屋さんを巡ってみたいなぁ。温泉も好きなんですよ。だから、日本全国の温泉地を巡りながら、地元のラーメンを食べに行くというラーメン紀行をしてみたいですね。

―― 2023年度には新スタンドも完成予定ですし、大勢のファンで溢れた船橋競馬場に早く戻るといいですね。
佐藤
 ファンの皆さんがいないと競馬にならないんだなと、今痛感しています。やってて何かが足りない、寂しいって。早くこの状況が落ち着いて、「ファンの歓声の中で競馬がやりたい」って関係者はみんな願っています。新スタンドが完成して、お客さんがたくさん入って、盛り上がって…。それを目指して仲間たちと前に進んでいきたいですね。

―― 本日は貴重なお話をたくさんお聞かせいただき、ありがとうございました。

取材・文/秋田奈津子
※取材日/2021年8月11日


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第1回 森泰斗騎手インタビュー

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