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うまレターコラボ
矢野義幸調教師インタビュー

人馬がつなぐ船橋ストーリー
第8回

中央・地方の垣根を越えて、競馬業界全体の活性化を目的に発行されるフリーマガジン「うまレター」とのコラボレーション企画の第8弾!

今年は金沢競馬場で行われたJBC競走。その“ダート競馬の祭典”で、船橋競馬所属のミューチャリーが地方馬初のJBCクラシック制覇という快挙を成し遂げました。今回はそのミューチャリーを管理する矢野義幸調教師にJBCを振り返っていただくとともに、ご自身の調教師人生についても伺いました。

―― 改めましてJBCクラシックの優勝、おめでとうございます。前走、白山大賞典に出走した狙いは、やはり大一番を見据えてということだったのでしょうか?
矢野
 そうです。JBCを狙って使いました。

―― その白山大賞典は2着でした。長距離輸送や初コースなど初物づくしだったわけですが、レース後の手応えはいかがでしたか?
矢野
 はっきり言って、このレースの内容と結果にはがっかりしました。不良馬場というのもありましたが、勝ち馬に直線で離されたのと、2着を確保するのもやっとでしたからね。吉原騎手も、思い描いていたレースとは違うと思う部分があったと思います。ただ、課題を修復できる余地はあったので、それを完璧にできれば次はいけるという思いはありました。

―― 金沢の吉原寛人騎手の起用はいつ決まったのですか?
矢野
 白山大賞典に向かうことが決まり、地元の吉原騎手にお願いすることにしました。やはり、金沢コースを知り尽くしている騎手ですからね。

―― JBCまでの仕上がりや状態はいかがでしたか?
矢野
 体の治療をしてからもうひとつ上がってこなかったし、本当ならもう1週ほしいなという気持ちがありました。ただ2週前の追切をやってから、なんとか前走よりは戻っているなという状態にはなっていました。

―― 勝つ自信はどうだったのでしょう?
矢野
 内心はありましたよ。口には出せませんでしたが(笑)。大井記念の勝ち方や帝王賞のレース内容を見たら、中央勢とも五分にやれると思っていました。

―― 当日のミューチャリーの様子はいかがでしたか?
矢野
 JBC当日は他地区から多くの馬が来るということで、新たに馬房が作られていました。白山大賞典とは違う馬房だったので心配はありましたが、もう5歳で経験が豊富な馬ですからね。昼に見に行った時は落ち着いていたので安心しました。

―― 吉原騎手とはどのような作戦を立てたのですか?
矢野
 カジノフォンテンの調教を見るとかなり良くなっていたので、まずはカジノフォンテンの出方だなと。その後に中央勢がいって、その直後につければペース的にはちょうど良いかなと話していました。ただゲートが開くと、オメガパフュームとテーオーケインズが出遅れて…。そこでスッと前にいった吉原騎手の臨機応変な判断が素晴らしかったですね。吉原騎手がミューチャリーに騎乗したのは前走の1回だけ。「この馬はこういう馬だ」という固定概念がないからこそ、あの対応ができたのだと思います。

―― なるほど。逆に先入観がないことがプラスだったということですね。
矢野
 ずっと騎乗している騎手であれば、騎手心理としてああいうレースはしないと思います。そういう意味では、乗り替わりが良い方向に向きました。

―― 道中3番手というのは、これまでのミューチャリーのレースの中ではかなり前の位置取りでしたね。
矢野
 川崎記念で前に行き、3コーナーで先頭に立って直線バタバタになったレースが一瞬思い浮かんで…。ただ、レースを一緒に見ていた金沢の加藤和義調教師が「通っているコースは1番軽いところですよ」って言うんです。折り合いもついているし、後ろから被せてくる馬もいない。「これはもしかしていけるんじゃないか」と期待が高まりました。

―― 早め先頭に立ち、ゴール前は中央勢が迫ってきました。あの時の心境を教えてください。
矢野
 早め先頭と言っても、残り400mを過ぎていたので大丈夫だと。あとは机を叩き続けました。あ、新聞でね。手が痛いから(笑)。ゴールの瞬間は「あぁ、良かった」と思いましたよ。レースから戻ってきた吉原騎手と握手した時はジーンとしました。

―― 地元の吉原騎手が騎乗した地方馬の勝利ということで、場内も喜びに溢れていました。その雰囲気は伝わりましたか?
矢野
 それはもちろん! 競馬場で働いているおばさんも拍手してくれてね(笑)。無観客が続いていたし、ファンの皆さんの拍手というのは嬉しかったですね。

―― 地方所属馬として初めてJBCクラシック制覇を成し遂げたことについてはいかがですか?
矢野
 それよりも、交流重賞を勝てたことが本当に嬉しかったです。これまでずっと悔しい思いや歯がゆい思いをしてきて、溜め息ばかりでしたからね。

―― レース後の馬の様子はいかがでしたか?
矢野
 無事に厩舎に戻って変わりなく過ごしていますよ。体があまり大きくない馬なので、負担があまりなかったようです。やはり大きい馬だと脚元に負担がかかるし、疲労度が大きいので心配になります。

―― では、ミューチャリーのこれまでの戦歴などを振り返っていきたいと思います。初めて会った時の印象はいかがでしたか?
矢野
 1歳の時に育成場で見て、「この感じなら500kgくらいにはなりそうだし良い馬だな」と思っていたんですが、いざ厩舎に来てみると、1歳の12月に育成場で見た時より体重が軽いんですよ。自分が思い描いていたイメージと違ったので、「あれ? 成長がないなぁ」と思いました。こういうタイプで走った馬というのは、記憶になかったですから。

―― デビュー時が471kg。これまでの最高馬体重が475kg。JBCの時は460kgでした。
矢野
 ずっと460kg~470kgでしょ。夏場に1度休養した時、「背が伸びたな。やっぱり奥手なんだな」なんて思っていたら、競馬の時の体重は変わらないんですよ(苦笑)。

―― 彼にとってはこれがベスト体重だったということですね。
矢野
 デビュー前は500kg以上になると想像していたけれど、そういうことなんだと思います。

―― デビューから無傷の3連勝で鎌倉記念を優勝。当時、矢野調教師も「かなりの可能性を感じる」と仰っていましたよね。
矢野
 鎌倉記念の勝ち方は凄かったですね。4コーナーを回った時にリンゾウチャネル(のちの北海道三冠馬)が迫ってきたんですが、それを突き放しましたから。この時、「これはモノが違うな。かなり上までいけるんじゃないか」と感じました。

―― 3歳時はクラシックロードを歩み、羽田盃優勝、東京ダービー2着、ジャパンダートダービー(以下JDD)3着と、とても優秀な成績でした。
矢野
 羽田盃は長い脚を使って勝ってくれましたが、東京ダービーとJDDは物足りなかったですね。あれだけの切れ味を出すには、長い距離では難しいのかなと。3歳馬同士なら距離があっても良いレースはしてくれると思っていましたが、当時は1600mがベストかなと感じていました。

―― JDDの後はセントライト記念で芝のレースに挑戦しましたね。
矢野
 3歳馬同士ならなんとかいけるんじゃないかと思っていたのですが、休み明けでしたし、簡単ではありませんでした。

―― 古馬との戦いになるにあたって、距離についてはどう考えていたのですか?
矢野
 マイルが1番良いのかなと感じながらも、「上の馬と戦うにはやっぱり中距離でいかなきゃ」と思っていました。

―― フェブラリーステークスに挑戦したのも距離適性を考えてという部分があったんですね。
矢野
 そうですね。長い直線でキレ味が活かせるかもしれないと考えたのですが、初めての場所でイレ込んで競馬になりませんでした。

―― その4歳時は交流重賞で健闘していました。
矢野
 馬自体はまだ完成されていなかったし、3~4コーナーの動きや反応に脆さがありました。ただ、3歳までのイレ込みはなくなってきましたね。元気、やんちゃという部分はずっと持っていますけど。まだまだ伸びしろはあると思っていましたが、4歳後半の結果などを見ると「もうここまでかな」ということも頭を過りました。

―― 5歳になってからもJpnⅠ競走を中心に、本当に頑張っている印象ですが。
矢野
 カジノフォンテンと同期なんですよね。最初はミューチャリーの方が成績が上でしたが、カジノフォンテンが伸びてきて、JpnⅠを続けて勝ちましたから。それを目の当りにして「ミューチャリーはここまでかな」なんて思っていたら、大井記念の圧勝劇。このレースを見て、「まだなんとかいけそうだ」と思い直しましたね。

―― 先ほどからカジノフォンテンの名前が出てきています。やはり意識されているのですか?
矢野
 同じ船橋所属の馬ですし、調教も見ていますからね。目安になるし、良い目標です。お互い良い刺激になっています。キャッスルトップ含め船橋からJpnⅠ馬が3頭も出るなんて、こんな年なかなかないですよ。

―― ミューチャリーの1番のストロングポイントを教えてください。
矢野
 気性ですね。普段は1頭で調教しているのですが、馬が近づくと蹴飛ばそうとするんですよ。そういう闘争心があるんです。人間にはそんなことなくて、馬房では誰にでも顔を撫でさせるのですが…。その気持ちの強さがレースで良い方に出ています。でなければ、あの小さな体でこんなに活躍できないですよ。

―― 今後の期待はいかがでしょうか?
矢野
 今が充実期。この後は東京大賞典を使う予定ですが、JBCと同じレースはできませんので、騎手とも相談しながらやっていきたいです。また、これからはJpnⅠウイナーという立場で出走することになるので、正念場とも言えますよね。真価が問われる1年になりそうです。

―― 次に、矢野調教師ご自身のお話もお聞きします。もともとは紀三井寺競馬場で騎手をされていました。どのような経緯で船橋に移籍されたのですか?
矢野
 1988年に紀三井寺競馬場が廃止された時、私は37歳でした。当時は40歳くらいで調教師に転身する騎手が多かったんです。「他の競馬場に移り、3~4年騎手をして調教師になる」と言うと、どこの競馬場も呼びにくくてなかなか移籍先が決まりませんでした。ただ、「最後は南関東で乗りたい」という気持ちがあったので、思い切って当たってみたんです。他の3場はダメだったのですが、船橋の安藤栄作調教師が「上には自分が言ってやるから」と力になってくれました。恩人ですよね。そして50歳まで騎手を続け、2000年に調教師試験に合格しました。

―― 関西の御出身でもありますし、関東への移住は大変でしたよね? すぐに慣れましたか?
矢野
 慣れないですよ。「絶対に染まらないぞ」と思っていました。

―― もしかして、まだ染まってないのですか?
矢野
 いや、染まっているね(笑)。

―― そして2002年の開業から20年。調教師人生を振り返るといかがですか?
矢野
 早いですね。何もできないままここまできちゃった感じかな。

―― いやいや、とんでもない。リーディングトップも獲り、重賞も28勝。今年の7月には地方通算1000勝も達成されています。
矢野
 数字的なことはまったく気にしないんですよ。1000勝の時も意識していませんでした。記念のマスクは作りましたけどね(笑)。

―― これまで印象に残っている馬を教えてください。
矢野
 やはりルースリンドですね。中央未勝利で移籍してきて、その時に佐藤隆騎手が攻め馬に乗って「これは良い馬だ」って言ったんですよ。佐藤騎手とは仲が良くてね。「これで重賞勝てるかな」と思っていたんですが、体質的に弱い馬だったんです。追切で旋回癖があったり、爪も悪かったりと大変でした。

―― 佐藤隆騎手と重賞を獲りたかった思いは大きかったのではないでしょうか?
矢野
 佐藤騎手が亡くなった翌年に、内田博幸騎手が乗ってスパーキングサマーカップを勝ったんです。これが厩舎としても重賞初制覇だったんですが、勝つつもりで遺影も持っていったんですよ。月命日には毎月お墓参りもしていたのですが、この勝利も墓前にしっかりと報告しました。この馬が厩舎の礎になっていると思います。

<筆者注>
佐藤隆騎手は落馬事故の影響で2006年に逝去されました。

―― ルースリンドの仔、ストゥディウムは母ルナマリアも矢野厩舎に所属していました。厩舎ゆかりの産駒が重賞を勝った時は話題にもなりましたね。
矢野
 ルナマリアはすごく気の強い牝馬でした。脚元が弱くてすぐに繁殖に上がったんですが、ルースリンドとの相性が良かったんですかね。ストゥディウムの活躍は嬉しかったです。

―― 印象に残っているレースはどうでしょうか?
矢野
 サミットストーンで勝った浦和記念ですかね。いつも先行するタイプの馬なのに、交流重賞の流れについていけなくて、4コーナー回った時は後方に近いポジションでした。ただ内が開いて、直線だけでインからごぼう抜きという、かなりインパクトのある勝ち方をしてくれました。結局、このレースの勝利で年度代表馬にも選ばれましたしね。

―― 矢野厩舎といえば虎のメンコ阪神タイガースファンでいらっしゃるのは一目瞭然なのですが、きっかけは何だったのですか?
矢野
 厩舎を開業してからすぐに使い始めました。馬を目立たせたいというか、何かインパクトがほしいなという思いが始まりだったと思います。

―― 馬を手掛けるにあたり、どんなことを大事にされていますか?
矢野
 まずは故障をさせないことです。それとオーナーさんに1回は勝たせてあげたいということ。勝てずに能力試験で終わってしまう馬もいます。そんな時は、「全然気づいてやれなかった」「分かってやれなかった」と自責の念に駆られます。

―― 調教師としての今後の目標を教えてください。
矢野
 元気でいるうちは調教師でいたいですね。

―― 2年後には船橋競馬に新スタンドが完成します。期待はいかがですか?
矢野
 期待はかなりしています。競馬場はまだ“鉄火場”というイメージもありますが、厩舎の人間の気持ちも変えて、たくさんのファンの皆さんをお迎えしたいです。今は競馬場に来なくてもネットで馬券が売れる時代ですが、娯楽を提供する側がそれに甘んじてしまうのは怖いですよね。新スタンドには近隣住民の憩いの場もありますし、多くの方に来ていただきたいです。

―― 船橋競馬がさらに一丸となる必要がありますね。
矢野
 新スタンドの完成に向けて自分たちも準備が必要だし、それに向かってファンにアピールできるような強い馬作りもしなければなりません。そして、「今までの競馬場とは違うぞ」ということころを見せたいです。いや、見せなきゃいけないと思っています。

―― 力強いお言葉、ありがとうございます。ますますのご活躍を期待しています。本日はありがとうございました。

取材・文/秋田奈津子
※取材日:2021年11月10日

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