
江戸時代の性文化を一言で表すと、「おおらかで、現代よりもずっと自由」だったと言えるかもしれません。
現代のような“性教育”や“モラル”といった概念がまだ確立していなかった時代。だからこそ、性はもっと日常の一部で、驚くほど開けっぴろげな文化が根付いていました。
とはいえ、「自由=乱れていた」というわけではありません。
そこには、その時代なりのルールや価値観がちゃんと存在し、人々はその中で恋をし、家庭を持ち、愛を交わしていたのです。
「江戸の人たちはどうやって恋をしたの?」「性は娯楽?それとも神聖なもの?」
今回はそんな素朴な疑問に応えながら、江戸庶民たちの性文化のリアルを紐解いていきます。
現代ではプライベートな話題とされる性の話も、江戸時代の庶民にとっては生活の一部でした。
たとえば長屋に住む庶民たちは、隣の家の音が筒抜けなほど壁が薄く、夜の営みの声が聞こえることも珍しくなかったとか。
「え、聞かれて恥ずかしくないの?」と思うかもしれませんが、彼らにとってそれは“普通のこと”だったのです。
実際、江戸の庶民は“夫婦仲良く”をとても大切にしていて、セックスレスという概念すらなかったとも言われています。性は愛情や家庭の象徴でもあり、夫婦の絆を確かめる大切な行為でした。
江戸時代の恋愛は、驚くほど「自由」で「情熱的」でした。
特に町人や農民など庶民階級では、親の許可があれば恋愛結婚も珍しくなく、夜這いや通い婚など、“愛から始まる関係”が普通でした。
一方で、結婚となると話は別。
経済力や家柄、親の意向が強く反映され、「恋と結婚は別」と割り切る文化も根強くありました。まるで現代の恋愛ドラマのようですね。
女性も積極的に恋をし、和歌や恋文、さらには春画を通して想いを伝えるなど、情熱的な一面が随所に見られます。
江戸の性文化を語る上で欠かせないのが「春画(しゅんが)」です。
浮世絵師たちが描いた性愛の絵は、庶民の間で広く親しまれ、笑いや風刺を交えた作品も多く存在しました。
この春画、実は「性教育の教材」としても使われていた側面があります。
親が子に「夫婦とはこういうものだよ」と見せて説明したり、結婚前の男女がこっそり学んだり…。
性は恥ずかしいものではなく、人としての営みとして自然に受け入れられていた証拠です。
また、避妊や性病対策などの知恵も、草の根的に伝わっていたことがわかっており、現代の“知識としての性”とは違うかたちで社会に根付いていました。
江戸時代の銭湯は「混浴」が一般的でした。
老若男女が一緒に湯船に浸かる光景は、現代からすると驚きですが、当時はこれも日常の風景。
また、町には「出会い茶屋」や「岡場所(非合法の遊び場)」が存在し、恋や性にまつわる交流の場が豊富にありました。
もちろんすべてが風俗的だったわけではなく、「お互いを知るためのきっかけ」として機能していた場も多かったようです。
「性=特別なもの」ではなく、「生活の一部」として扱われていた点が、現代との大きな違いです。
現代では性の話題はタブーになりがちで、「正しさ」や「倫理観」に縛られることも多いですよね。
でも、江戸時代の人々はもっと自然体で、オープンに向き合っていました。
もちろん、何でも許されたわけではなく、時代なりの道徳や規範はありましたが、「人間らしい欲や感情に素直に生きる姿勢」が、どこか現代よりも豊かだったのかもしれません。
・性は“生活の一部”として自然に存在していた
・恋愛は自由で情熱的。結婚は現実的だった
・春画や混浴など、今よりも“オープン”な性表現が多かった
・教育・娯楽・交流の中に、性が溶け込んでいた
・現代が失った“性に対する素直さ”を思い出させてくれる文化