夜這いは本当にあった?民俗学で読み解く江戸の性と恋の風習

夜這いは本当にあった?民俗学で読み解く江戸の性と恋の風習

江戸の村で行われていた「夜這い」は乱行ではなく、通い婚の文化だった。民俗学の視点でその実態を解説。

夜這いってなに?現代のイメージとは違う「通い文化」

「夜這い(よばい)」と聞くと、どうしても「夜中に女性の部屋へ忍び込む危ない行為」といったイメージを持ってしまいますよね。


でも実はそれ、現代の価値観から見た誤解なんです。


民俗学の観点から見ると、江戸時代やそれ以前の農村部では、夜這いは男女の出会いと恋愛の一形態であり、現在で言う“通い婚”に近いものでした。
若者たちが夜、好意のある女性の家を訪れ、合意のもとで関係を築く──そういった交際が普通に行われていたんです。


農村で育まれた恋愛文化:夜這いの背景と風習


夜這いが盛んだったのは主に農山村地域。
村というコミュニティの中で暮らす人々にとって、恋愛も結婚も“村内で完結”することが多く、出会いの機会が限られていたため、自然とこうした風習が育まれました。


夜這いにはルールも存在していて、たとえば:


  • 女性の両親が「今日は〇〇さんが来てるな」と気づいても、あえて黙っていた
  • 合意がなければ関係は成立しない(拒否されれば男性は帰るだけ)
  • 村の祭りの後や、年頃の若者の集会後が夜這いのチャンスだった


つまり、単なる性的行為ではなく、恋愛と結婚を見据えた「社交の場」でもあったのです。


「乱交」や「無秩序」ではない?民俗学が描くリアル


もちろん、すべてが美談ではありません。
一部には強引な行為やトラブルもあり、そういった事例が「乱行」「集団性行為」として語られることもあります。


しかし、赤松啓介『夜這いの民俗学』によれば、そうした例はむしろ特殊であり、本来の夜這いは社会的に容認された恋愛形式でした。


また、夜這いのルールや習慣は村ごとに異なっていて、たとえば:


  • 女性の部屋に“腰かけ”が置かれていたらOKの合図
  • 2人きりの空間でも、布団に入らないと「正式な夜這い」とは見なされない
  • 村の長老が暗黙に監視し、トラブルを未然に防いでいた


など、「秩序のある風習」であったことがうかがえます。


通い婚との違い:結婚前と後の“通う”意味


夜這いと似て非なるものに「通い婚(妻問婚)」があります。


  • 夜這い:主に恋愛や交際の段階。未婚の男女が関係を深めるために夜に通う。
  • 通い婚:結婚後、夫が妻の実家に“通って”夫婦生活を送る。完全同居しないのが特徴。


夜這いは「プロローグ」、通い婚は「本編」とも言えるかもしれません。
そしてこの2つがセットで存在することで、村の恋愛や家族制度が成り立っていたのです。


夜這いが消えた理由:都市化と“近代家族”の台頭


ではなぜ、夜這いという文化は姿を消したのでしょうか?


最大の理由は明治以降の都市化と家族制度の変化です。


  • 村社会の結びつきが薄れた
  • 明治政府が欧化政策の一環として「貞操観念」や「西洋的モラル」を持ち込んだ
  • 戸籍制度・婚姻届の義務化で、“通い”のスタイルが難しくなった


こうして、恋愛と性を結びつけていた夜這い文化は、“退廃的”と見なされ、徐々に消えていったのです。


「夜這い」から考える現代の恋愛との違い


「夜這いなんて野蛮」「女性の人権を無視している」と感じる人もいるかもしれません。
でも、当時の人々にとっては、ごく自然で、ごく当たり前の恋愛のかたちでした。


今のようにSNSもマッチングアプリもない時代。
「好きな人に会いたい」「触れたい」「想いを伝えたい」――その気持ちを、夜の静けさの中でそっと伝える。


それは、人間としての“本能的な恋心”にとても素直な行動だったのではないでしょうか。


まとめ:夜這いは“村の恋愛文化”だった


・夜這いは、農村社会に根付いた恋愛と通い婚の前段階
・無秩序ではなく、地域ごとのルールと合意が前提だった
・現代の恋愛とは異なるが、人間らしさにあふれた風習でもある
・都市化と近代化のなかで徐々に姿を消した