通い婚と夜這いの違いとは?江戸の結婚前提の恋愛スタイル

通い婚と夜這いの違いとは?江戸の結婚前提の恋愛スタイル

江戸の庶民が自然に愛を育んだ「通い婚」と夜這い文化の違いをわかりやすく紹介。

「夜這い」と「通い婚」はどう違うの?

どちらも「男性が女性のもとに通う恋愛文化」ですが、この2つには明確な違いがあります。


  • 夜這い:主に未婚男女の恋愛や性交渉のきっかけ。地域によっては“お試し交際”のような位置づけ。
  • 通い婚(妻問婚):結婚成立後、夫が妻の実家に通う正式な婚姻形態。日中は実家、夜だけ妻宅へ通うスタイル。


つまり、夜這いが「恋のはじまり」なら、通い婚は「結婚後の新しい夫婦生活」というわけです。


この“通う”という行動に、江戸時代の恋愛と結婚の価値観がギュッと詰まっています。


通い婚とは?妻が実家にいるまま夫が“通う”結婚形態


通い婚(妻問婚)とは、夫が妻の家に通って一緒に夜を過ごす婚姻形式のことです。


夫婦が同居しないのが最大の特徴で、特に以下のようなケースで通い婚は一般的でした:


  • 経済力のない若夫婦(妻の実家で生活支援を受ける)
  • 長男以外の次男・三男(本家を継げないため婿入りせず)
  • 嫁入りの風習がなかった村や地域(西日本に多い)


つまり、「結婚=同居」という固定観念がなかったのです。
現代の“別居婚”にも通じる柔軟な結婚スタイルですね。


  • 夜這いは“お試し交際”だった?──結婚前の関係構築


一方、夜這いはあくまで未婚の男女間の恋愛的交流です。


「通って関係を持つ」という意味では通い婚に似ていますが、法的・社会的に結婚が成立していない点が大きな違いです。


夜這いの目的は、


  • 男女がお互いを見極める
  • 相性を確認する(身体的な意味も含め)
  • 婚約の前段階として親に認めてもらう


など、現在で言う“真剣交際”に近いものでした。
逆に、3日続けて女性が受け入れれば、事実上の婚約成立とみなされる地域もありました。


家制度がなかったからこその「通い文化」


江戸時代は今ほど“家”の制度が確立していなかったため、結婚や夫婦のかたちも地域ごとに多様でした。


  • 男が女の家に入る「婿入り」
  • 形式上結婚しても別居する「通い婚」
  • 恋愛から自然発生的に夫婦になる「夜這い婚」


これらは、今の“届け出婚”“事実婚”“内縁関係”のような、柔軟でバリエーション豊かなスタイル。


「結婚とはこうあるべき」という縛りが弱かったからこそ、人々は恋愛も性も、もっと自然体で受け入れていたのかもしれません。


女性の意思がカギだった通い文化のリアル


ここで見逃してはいけないのが、女性の意思が非常に重要だったという点です。


夜這いも通い婚も、女性が拒否すれば関係は成立しない、という暗黙のルールがありました。
家族もそれを知っていて、娘の意志を尊重するケースが多かったのです。


さらに、通い婚の関係では、女性側の家が夫を「迎える」立場。
夫が失礼な態度を取ったり、粗相があれば、女性側が関係を断つこともできました。


つまり、表面的には男性主導のように見えて、実は女性にとって主導権のある結婚スタイルでもあったのです。


通い婚が消えた理由:制度の画一化と「嫁入り文化」


明治以降、戸籍制度や法律の整備とともに、結婚=「同居・嫁入り」が当たり前の時代になります。


  • 妻は夫の家に入る「嫁入り婚」へ一本化
  • 戸主制度の導入で“本家”重視の文化が拡大
  • 都市化によって「親元で暮らす」ことが難しくなった


その流れのなかで、夜這いも通い婚も、「非正規」「旧時代的」として廃れていったのです。


現代ではあまり語られない通い文化ですが、かつての日本にはこんなにも柔らかく、個人の感情に寄り添った結婚のかたちが存在していたのです。


まとめ:夜這いと通い婚は「恋と結婚」の自然な流れ


・夜這い=恋愛・交際の入り口、通い婚=結婚後の夫婦形態
・女性の意思と地域の風習が関係性を決めていた
・制度に縛られない柔軟な婚姻文化が存在していた
・明治以降、制度と道徳の画一化により消滅