

情報が口伝で広がった社会
江戸時代、新聞やテレビのようなメディアはありませんでしたが、人々は非常に活発に情報を共有していました。とくに“性”に関する話題は、春画や講談、井戸端会議を通じて広まり、庶民の間でも広く知識が流通していました。
性に関する実践的な知識は、親から子へ、町人から旅人へと伝えられ、「知っているのが当たり前」という空気さえありました。
性に対する実用的な知恵の蓄積
性は娯楽であると同時に、生活の一部でもありました。望まない妊娠や性病のリスクを避けるために、江戸庶民は現代のような医療制度が整っていない中で、自力で知恵を絞っていたのです。
そこには、科学というより経験則に基づいた実用的な工夫が多数ありました。
魚の浮き袋から作った“コンドーム”
江戸時代に実際に使われていた避妊具のひとつが、魚の浮き袋や動物の腸を加工して作られた“陰嚢”です。
これは現在のコンドームの原型とも言える存在で、水洗いして再利用可能な構造になっていました。
武士や裕福な町人の間で特に使われていたとされ、遊女との関係や妾との間での妊娠防止に役立てられていました。
草木・薬草を使った避妊の工夫
また、ヨモギやドクダミなどの薬草を煎じて服用することで、避妊効果を得ようとする民間療法も存在していました。
これらは「子を下す草」などと呼ばれ、生理を促進する効果があると信じられていました。
現代の視点から見ると危険な方法もありますが、自然素材に頼った知恵として、当時の人々は真剣に活用していたのです。
梅毒対策としての銀・硫黄・水銀
江戸時代、最も深刻だった性病は梅毒です。特に遊郭で広まり、江戸中に影響を与えました。
当時の人々は、水銀を塗布したり、銀粉を混ぜた薬を服用するなど、今では考えられないような方法で治療・予防を試みていました。
こうした民間療法は、医師にかかれない庶民が頼る最後の手段であり、体を張った実践知とも言えるものです。
医者に頼らず“自己管理”する知恵
庶民の多くは、金銭的・地理的に医者にかかれなかったため、身体の変化を観察し、自分で対処する文化がありました。
「性器に異常が出たら●●草を塗る」「熱が出たらこの薬を飲む」といった、地域ごとの伝承もあり、性病への対応も“暮らしの知恵”として共有されていたのです。
遊女たちの自主的な健康対策
吉原や島原などの遊郭では、遊女たちが自分の体を守ることは仕事そのものでした。
毎日、身体を湯で清める、ハーブで陰部を洗浄する、避妊薬を服用するなど、日常的なセルフケアが徹底されていました。
彼女たちは単なる「性の商品」ではなく、プロフェッショナルとして自己管理能力が高かったのです。
遊郭全体の“衛生ルール”
また、遊郭自体にも衛生管理の暗黙のルールがありました。
客の性病の有無を判断するために、遊女が客の体を“さりげなく”確認する技術なども存在し、「体に異常があれば距離を置く」という判断が行われていたとされています。
民間療法に学ぶ予防の視点
もちろん、当時の避妊法や性病対策には科学的根拠の乏しいものも多く存在しました。
しかし、現代でも求められている「予防の意識」や「性に対する自己責任」という考え方は、江戸時代から確かに根付いていたのです。
つまり、江戸庶民の知恵から学ぶべきは、方法そのものではなく、“性と正面から向き合う姿勢”なのかもしれません。
性を「生活の知恵」として捉える文化
江戸人にとって、性は隠すものでも、消費するだけのものでもありませんでした。
日々の暮らしの中で向き合い、時には楽しみ、時には悩みながらも、人として自然なものとして受け入れていたのです。
こうした文化は、現代の性教育や性意識にもつながる大きなヒントを与えてくれます。
✅ まとめ
江戸時代の庶民は、限られた情報と医療環境の中で、避妊や性病対策に対して驚くほど実践的な知恵を持っていました。
魚の浮き袋を使った避妊具、薬草による避妊法、水銀や銀を使った民間療法など、方法は時代錯誤に見えるかもしれませんが、性を自分の責任で管理しようとする意識は現代にも通じます。
性に対する不安が増している現代だからこそ、江戸の人々が持っていた「性を生活の知恵としてとらえる姿勢」に、私たちは学ぶべきことがあるのです。