

江戸幕府は、「性」に関する問題を単なる個人の問題ではなく、社会秩序や風紀の維持に関わる重要な統治対象と捉えていました。
そのため、姦通(不倫)、強姦、売春などの行為に対しては厳しい法的規制が設けられていました。
これは単に道徳的価値観に基づいたものではなく、人口管理、治安維持、身分制度の保全といった目的が根底にあったのです。
性をめぐる行動が「私的」ではなく「公的に問題視される」のは、江戸時代に特徴的な点です。
とくに町奉行所や村役人は、風紀を乱す者=共同体を脅かす存在と見なし、通報や取り締まりに力を入れていました。
つまり、性に関する法律とは、人々の行動をコントロールする“社会管理ツール”だったともいえるのです。
江戸時代の法律では、既婚女性の姦通は重罪とされていました。
『御定書百箇条』には、人妻が夫以外の男と関係を持った場合、斬罪(死刑)に相当するとの規定があります。
一方、夫側にはあまり罰則がなく、明らかな性差別的構造が存在していました。
ただし、実際に死罪が執行されるケースは少なく、示談や村内処理で済まされることも多かったのが実情です。
法律は厳格でも、運用はかなり“柔軟”でした。
地方では「村の恥を外に出さない」ことを優先し、密通が発覚しても村内で口裏を合わせて黙認されることもありました。
また、階級によって処罰に差があるケースも多く、町人と武士では同じ行為でも罰の重さに格差があったのです。
江戸幕府は、性犯罪を「強姦(ごうかん)」「誘拐」「密通」などに分類し、それぞれ異なる罰則を設けていました。
たとえば強姦は斬罪または追放、誘拐は島流し、密通は両者死刑というように、法の上ではかなり重い刑罰が並んでいました。
しかし、証拠がなければ不起訴となることも多く、被害女性が泣き寝入りせざるを得ないケースも後を絶ちませんでした。
表面的には「女性を守るための法」ですが、実際は女性の貞操を守ることで家制度や男性の名誉を守るという目的が優先されていました。
つまり、女性個人の権利を保護する法律ではなかったのです。
強姦に遭った女性が処罰されるケースすら存在し、性に関する法制度は被害者よりも体面や制度の保全を優先したものであったことが伺えます。
江戸幕府は、性を完全に抑制することが不可能だと理解しており、性欲の“受け皿”として遊郭を公認しました。
吉原・島原・新町などの遊郭は、法のもとに存在を許され、「管理された性の場」として性の秩序を維持する機能を担っていたのです。
その背景には、遊郭が存在することで「強姦や不倫が減る」といった治安維持の狙いも含まれていました。
しかし、ここには大きな矛盾もありました。
一方で姦通や売春を禁じながら、他方で遊郭を公認するというのは、法の理念と現実運用の乖離(ダブルスタンダード)そのものです。
結局のところ、幕府は「建前」と「実態」を使い分けながら、性を抑圧ではなく管理の対象として扱っていたのです。
江戸時代の性に関する法律には、「公的には禁じるが、私的には黙認する」という二重構造がありました。
これは性というテーマが、人間の本能と道徳・統治の間で常に揺れ動く存在であったことの証拠です。
たとえば、「夜這い」は黙認され、強姦は死罪とされても、境界は曖昧で、地域や身分によって解釈が変わることも多々ありました。
このような構造は、現代の性に関する法律や社会的タブーとも重なります。
例えば、不倫や援助交際が倫理的には問題視されながらも、法的にはグレーゾーンに置かれている現実とよく似ています。
江戸時代の法制度は、時代錯誤に見える部分もありますが、性と社会の本質的な矛盾という点では、今もなお通じるものがあるのです。
江戸幕府の性に対する法制度は、道徳や倫理よりも社会秩序や家制度の維持を目的とした統制手段でした。
姦通罪や遊郭の公認といった矛盾する仕組みの中で、江戸人は“建前と本音”をうまく使い分けながら、性と折り合いをつけて生きていたのです。
この背景には、法律で性をコントロールすることの限界と、人間の本能を理解した統治の知恵が存在していました。
江戸の性法制度は、現代の私たちが性と社会の関係を見直す視点を与えてくれます。